話を聞いてほしがっている時点で二流

今渋谷のTurn Tableっていうホステルのバースペースでこの文章を書いているんだけど、ここ、とてもよい。

Trun Tableのことはこの記事を見て知った。

徳島のアンテナショップ的なやーつ。

未だかつてこんなに洗練され、くつろげるアンテナショップを見たことがない。

アンテナショップ2.0って感じ。

 

閑話休題

 

ぼくは他人の話を聞くのがうまいと自負している。

適当に相槌を打ちながら、ほどよく大げさなリアクションをとり、もっと話したそうなポイントを敢えて質問して引き出し、ちょっとだけイジり要素をくわえつつ会話を促す。

 

相槌:質問:イジり=7:2:1

 

が相手の会話を引き出すコツだと思う。

 

ぼくは元来自分語りよりは誰かの話を聞く方が好きというのもあって、ごく自然に上手な聞き役を徹してきた。

卒論調査でぼくが一番好きだったのは聞き取り調査だった。その代り執筆の方はてんでダメだったけれど。

居酒屋のカウンター席で隣の席になったおじさんや、Tinderとかではじめて会う人とも比較的なめらかに会話を広げられてきた。

相手が気持ちよくつらつらと話し続けるのを見ているのが好きだった。

そしてそんな「聞き役に徹している自分」も嫌いじゃなかった。

聞き分けがよくて、控えめで、盛り上げ上手な人間だと思っていた。

 

しかし社会人になっていろいろな方と会う中で、ぼくが話を掘り下げようとしてもあまりうまくいかないケースが増えてきた。

ぼくがいつものように聞き役に回ろうとしてもあまり話を広げる素振りが見られなかったり、さしておもしろくもないような態度をとったり、ともすれば「いいよ別にそんなに根掘り葉掘り聞こうとしなくて」と話を冷淡に話を遮ったりする人がいることに気づいた。

 

最初のうちはとまどった。

「せっかく会って話しているのにどうしてそんな素っ気ない態度をとるんだろう」

と傷ついたし、イラ立ったし、自分が不当な扱いを受けている気すらした。

 

でもしばらくして気づき始めたんだよね、彼らはぼくの上っ面な聞き方に気づいてたんだって。

ぼくの対応はある意味で相手の話や人間性を軽んじていたのかも知れない。

 

言い訳するではないが、ぼくとしては会話のプロレスがしたかっただけなんだ。

そこそこのところでいなして、ひょいひょいと付かず離れずの会話をして、たのしかったね、それじゃあまたね、で〆たかっただけなのだ。

ただ心の底に「みんなどうぜ自分語りしたいだけだよね」っていう斜に構えた気持ちはあった。

彼らにはそこんとこを見破られたんだなと思う。

 

ふり返ってみて彼ら―会話プロレスクラッシャーら―は往々にして”デキる人”だった。

したたかで、抜け目がなくて、容量がいい、経験値豊富な人であることがありありとわかった。

 

気づいたんだよね。誰かに話を聞いてもらってよろこんでいるような人間は二流なんだって。

すごーく意地悪な言い方をするけど、ぼくに話を聞いてもらって気持ちよくなってる人はその程度の人間なんだと思う。

 

もちろん誰しも他人に話を聞いてもらえればうれしい。

でもそれで承認欲求を満たしているような人間は大した人間じゃない。

デキる人たちは他人の毀誉褒貶に一喜一憂しない、太くしなやかで根の張った価値観を持っている。

ぼくみたいな人間の薄っぺらい相槌なんか求めちゃいないんだよね。恥ずかしい話です。

 

ここ一年で、ぼく自身の価値観が大きく転換しつつあるのを感じる。

ちょっとは人間に深みが出てきたのかなあ、成熟してきたのかなあ。

未熟な自分を肯定しつつ、成長を続けていきたいなぁ。(了)