ぼくはいい奴なんかじゃなかったんだ。という気付き

社会人になって2年が経った。

この2年間で得られた大きな知見として「ぼくはそんなにいい奴ではない」ということがある。

別に悪い奴っていうわけじゃない。

どっちかっていうといい奴ではあると思う。たぶん。

ただ誰しもに好かれて、というか、誰にも嫌われず「原くんていい奴だよね。彼こそが愛すべき人間だよね」と異口同音に評価される人間ではない。

何をバカなことをと言われるだろうけれど、ぼくは本当にわりと最近まで自分は周囲にそう思われているだろうと無邪気に信じていた。

ただ断っておきたいのは、それだからと言ってぼくは傍若無人な振る舞いをしてたわけじゃない(と思う)。

そうではなく、ただ自分が期待しているほど他人から好かれない自分というギャップに自分なりにひとり傷つき悩んでいた。

 

それはたぶん、ぼくが他人から一目置かれることに慣れすぎていたせいだと思う。

ぼくが生まれ育ったのは決して名家などではなかったが、両親共に東京の大学と専門学校に行っており、長野の片田舎にしては教育に熱心な家庭だった。

塾やピアノや空手教室といった習い事も、お願いすればなんでもやらせてくれたし、近くの美術博物館などで開催されるイベントなどにも親が率先して連れて行ってくれた。

その素養もあってか、ぼくは中学まではろくに勉強しなくても学年成績は上位で、地元ではほぼ唯一の進学校(笑)に入学した。

高校に上がってからはさすがに無勉強だとろくな成績はとれず、中の下くらいの成績だったけれど、生徒会に入って生徒会副会長なんかも務めてなんやかんやがんばってたし、やっぱり一目置かれていた。

 

ぼくはそういう優等生っぽい役割を演じるのにあまりに慣れすぎていたのだと思う。

もちろんどれも自分がやりたくてやったことだし、優等生として見られることを意識して生きてきたわけじゃない。

ただ結果的にであれ、いわゆる優等生コースを歩んでいるうちに、優等生的役割や振る舞いがあまり身に染み付いてしまっていた。

問題はぼくがその役割を演じ切るには物分りが悪いというか、我が強いというか、ひねくれ者であったことで…。

その認識と現実のズレがぼくの悲哀であった。

 

そのズレが最初に露見したのが小6の時に過ごした種子島での一年だった。

ぼくは2003年に「南種子町宇宙留学制度」というのに参加して、小学六年生としての一年間を現地の小学校で過ごした。

住む場所も現地の里親さんに預かってもらってという完全アウェイ生活であった。

種子島での生活は刺激的だったし、内陸県長野県民としては、海にチャリで行けるというだけで大コーフンだったのだが、人間関係についてはなかなかしんどかった。

現地の子たちとケンカばっかりしてたし、疎外感を感じたし、全然しっくりこなかった。

今思えば無理ないなあと思う。

どう考えてもぼくは可愛気の片鱗もないクソガキだったし、それに無自覚であるが故に自由気ままに振る舞うし…。

当時の同級生や先生、里親さんには本当に迷惑をかけたなあ…。

 

とは言え種子島での生活は一年間で終わり、中学校からは居心地のいい長野にまた戻り、高校卒業までをそこで過ごしたわけであります。

 

というわけで第二の壁にぶち当たったのが大学に入ってから。

一年間の浪人生活を終え、ぼくは北海道教育大学函館校という言うまでもなく北海道は函館市にある大学に入学した。

いやー全然うまくいかなかったよね、大学生活。

大学の勉強も全然興味持てなかったし、学生寮とかサークルの人間関係とかもなんかしっくりこないどころか全然友だちできないし。

「なんでぼくはこんな不遇の日々を過ごさなければならないのだろう」と思ってた。

自分自身に問題があると自覚がなくはなかったけど、本質を捉えられてなかった。

「ぼくは他人から好かれて然るべきだ。なぜならいい奴だから」という意識が根底にあった。

 

そんな日々があまりに嫌で嫌で仕方なくて、大学も行かなくなって1年生の後期は20単位履修して8単位しか取れなくてGPAが1.0とか地獄みたいな数字を叩き出したところで、ぼくはここからさっさと逃げようと三年次編入学を決意し、一年後宇都宮大学に編入をした。

編入するにあたっては、必要単位数とGPAが圧倒的に足りておらず、猛勉強の末2年生の前期はGPAを2.9くらいまで上げて「すごいGPAって2.9倍にできるんだね☆」とびっくりしたエピソードとかあるけどそれはまた別の機会に書こう。

 

宇都宮大学では農学部森林科学科というニッチの極みな学科に編入し、なんやかんや楽しくやらせてもらった。

森林科学というとエコでロハスな響きが漂っているけど、現実はチェーンソーでスギやヒノキをぶった切ったり、木材の切片を顕微鏡で観察したり、ダムを造るという仮定のもと切り立つ山肌を測量したり、ニホンジカを追っかけ回したりというなかなかロックンロールな学科だった。

MARCHのシティーボーイ・シティーガールたちが昼休みには近くのカフェでワンプレートの小洒落た料理Instagramに上げている時に、ぼくら林科の学生たちは日光山の山肌で切り株に腰掛け、宿泊所のおばちゃんが作ってくれた豪快な弁当を頬張っていたのだ。

 

まあそれはいい、宇都宮大学は楽しかった。

森林林業という分野自体がおもしろかったこともあるし、ぼくが浪人と編入を経験しているこもあり、関わるのは2、3歳年下の奴らばかりだったから、どこか年上として慕ってくれたのもぼくにとってはやりやすかったのかも知れない。

 

何はともあれ社会人になって、すでに2つの仕事を経験し、3回の引越しをして、そのあたりでやっと「ぼくはそんなにいい奴じゃないんじゃないか」ということに気付き始めた。

気付くにあたって3人、キーとなる人間がいる。

 

一人目がAちゃん

Aちゃんはぼくが大学4年のときにひょんなきっかけで知り合った女の子で、当時はぼくは宇都宮、彼女は東京にいたけれど、ぼくが就職で上京してからはいつも連絡を取り合って、毎週のように会って遊んでいた。

彼女とのエピソードはこと尽きないけれど、いろいろあって一ヶ月だけ、彼女の家に転がり込むように住ませてもらったことがあった。

そのときにだらしないぼくを叱り、ぼくの弱さや嫌なところを忌憚なく指摘してくれた。

今でも頭が上がらない。

 

二人目が弟

Aちゃんの家から一旦シェアハウスに引越し、半年ほどを過ごした後に弟と一緒に住み始めた。

住み始めるまで弟はぼくとすごく似ていると思っていたし、気も合うはずだと思っていた。

住み始めてしばらくして、「あれ、ぼくたち案外似てないな」と気付いた。

もっと言うならば、弟に対して意地悪な気持ちになったり、棘のある言葉を言ってしまったり、自分て嫌な人間だなあと思うことが多々あった。

お互い様の部分はあるし、単なる兄弟喧嘩といえばそこまでなんだけど、それでもぼくは、自分自身にそういう負の側面があることに無自覚だった。

 

三人目が職場の先輩Tさん

Tさんとは一緒にいて本当に気が楽で、話も弾む。

すごくサバサバしてて、思ったことをハッキリ伝えるから最初はキツい人かなという印象があったけれど、そこが好きだったりする。

そしてこの前他の同僚に

「原くんとTさんは歯に衣着せぬ物言いをするから、知らず知らずのうちに敵を作っちゃう人付き合いが下手なところが似てるよね」

という指摘を受けて衝撃を受けた。

え、ぼくがTさんと気が合うのは似てるからなの!?っていう。

Tさんと「それぞれ自分が思うチャームポイントはどこか」という他愛もない話になった際、ぼくは冗談じゃなく「愛嬌」と答えたら真顔で否定されてショックだったんだんだけど、まあ以上のことを総合し考えたらそりゃそうだよね。愛嬌とか、ないよね。

 

まあそんなこんなでやっとぼくは「優等生」とか「いい奴」といった呪縛から解けつつあると感じているのです。

でもね不思議なもので、そうやって思えるようになってから随分と楽になったんだよね。

「どうしてぼくは嫌われるんだろう?」とか「嫌われないためにはどうしたらいいんだろう?」という不安から少なからず開放されたから。

もちろん嫌われるのは悲しいけれど、不完全な人間だもの、仕方がないや、と受け入れられるようになった。

過去の嫌われた思い出がすくい取られ、浄化されていくような気がした。

 

今思えば優等生を気取っていたが、鼻持ちならない嫌な奴な部分も少なからずあっただろう。

ぼくがこれまで出会い、無自覚に嫌な気持ちにさせてしまった人に申し訳ないなあと思うし、逆にこんなぼくに辛抱強く付き合ってくれている親兄弟、数少ない友だちには心から感謝したいなあと思うのです。

 

長くなっちゃったけど、そんな話。(了)

嫌われる勇気

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