ダサい文章・ダサいブログ

ぼくにとって文章を書くことは肩の荷を下ろすことだ。

…なんて書いたらなんかちょっとかっこつけしいか。

 

でもそうなんだよね。

いろいろ背負い込むじゃないですか、生きてると。

ストレングスファインダーによるとぼくは「内省的」人間らしく。

まあ思い当たるところは大いにあったりするわけなんだけど、ひとりであれこれ考えるスタイルが性に合ってるんだな。

その分ひとりで問題を抱え込みやすいやすい傾向がある。

かと言って誰かと話して悩み事や問題を解決するのもそれはそれで体力をつかいますし。

よっぽど仲がいい人なら別だけどさ。

 

だからぼくは高校3年のころからずっと日記を書いてきた。

いやあれは日記と呼べるほどまとまった文章じゃないかも知れないな。

思いの丈とか気に入った単語とか思考の切れ端みたいなものを紙に書きなぐってきた。

書き始めて10年近く、何十冊にもなったノートは保管してあるけれど、読み返したら恥ずかしさで死んじゃうから捨てるに捨てられない。

とはいえぼくはそのノートに、書くという行為にどれだけ助けられたことか。

陰気で憂鬱なぼくの青春時代をどれほど支えてくれたことか、ありがとう日記モドキたち。

 

このブログはそのノートの延長線上にある。

書くことは救いである。

目指すところの究極は自己の魂の浄化と救済にある。

ナンマンダブナンマンダブ

**

すごい偏見に満ち満ちたことを言うけど、ブロガーを名乗る人ってどこか陰気な人間が多くないですか?

ぼくもそうっちゃそうだけど、ぼく自身が「ブロガー」なのかはよくわかんないし、なんかなんだろう、そういう先行するブロガー=陰キャラ?という自分の偏見に満ちたイメージによりブロガーと名乗るのは気が引けてるところもあったりするわけなのね正直。

「ブログ書いてりゃブロガーだろ!」っていう意見には、まあうん、そうだよね…と歯切れが悪い返答をするしかあるまい。

 

いや陰キャラでいいんだよ、全然、陰キャラでいいじゃん根暗でいいじゃん、と半ば自己肯定的にうんうんとうなずけるのだがここで言いたいのはそうではなく、陰キャラ特有のひねくれたダサさみたいのがブロガー界隈にもやっと漂ってる感じがなんとも「うっ」ってなっちゃうんだよね。

 

「ダサいかダサくないか」「クールかクールじゃないか」とういうことに対してぼくたち人間はすごい嗅覚を持っていると思うんです!

なんかこの前観た日本語もしゃべれるバイリンガルアメリカ人YouTuberが

「アメリカはクールじゃクールじゃないかがすべてを決める。クールじゃない奴は瞬時に舐められるYO!」

というようなこと(うろ覚え)を言っててほうほうと思ったんだけど、それって日本も少なからずあてはまるところあるよなーって。いくらCOOL JAPANと言えども(違う)

ダサさとはなんだろうか。

罪人の額に刺青が彫られて一目見てそれとわかるがごとく、ぼくらは出会って3秒で合体、はなくても「あーこの人となら合体したいな♡」か「ダセェしゃべんなキモい近寄んな」と判断する。そしてその直感は悲しいほどに当たっているのだ。

 

じゃあぼくらクールじゃないピープルはどうやって生きてけばいいんだよ!クールキッズたちの靴を舐めてやってくしかねぇのかクソがっ!

って言われるとうーん、そうだよねむずかしいよねぇってなるんだけど、最近ぼくは気づいたんです、そのダサさをスタイルに変えていくしかあるまいと。

いいんですよダサくて、ぼくらはダサいままでいいんですよ、だってそれがぼくであって君であって根っこなんてなかなか変えられないし、「らしさ」ってそういうもんでしょ。

だから「このダサさはぼくのスタイルですよー」って世の中にうまいことプレゼンしてくしかないんじゃないでしょうか。

天パでもじゃもじゃ頭でも逆にツンツルテンでもそれがあなたで、声が高かったり早口だったりキョドってたりとかいろいろひっくるめてぼく/あなたでしょそれが。

それで戦ってくしかないじゃないですか。

自分自身をどう活かすか、どうプレゼンすればいいか、それはあるいは今あなたがいる場所ではないのかも知れない。

タフですね生きるというのは。

しかし生きることとはそういうことだと思うのです。

ダサさをスタイルに変えていきましょう。ぼくもがんばります。