ぼくはその時、東京を出ていこうと思った

ぼくが生まれ育ったのは長野県の南に位置するさびれた山村だ。

そこは文字通り山のど真ん中だった。家の窓からは南アルプスの急峻な峰々が見えた。

春には山菜が山ほど採れ、それを近くの温泉街にある朝市に持って行くのが祖母の日課であった。

夏に窓辺で夕涼みをしていると、近くの田んぼから蛍が迷い込んでくることもあった。

秋には裏山で松茸が採れたし、どこからかそれを盗み採りに来る車に父は目を光らせていた。

冬は裏山でそり滑りに興じていた。高校生になってなおそれが楽しみだった。

隣(といっても数百メートル離れている)に住むおじさんは猟師をしていて、時折家の軒先に獣を吊るして解体していた。

学校の帰り道に蜂の巣を見つけると石を投げて獲って帰り、母に蜂の子の佃煮を作ってもらった。

そんなぼくにとって都会というものは超現実的で、想像の範囲を遥かに超えたものだった。

小学校に上がって間もないころであっただろうか、ぼくは父に

「田舎っていうのはどんなところ?」

と尋ねたことがあった。

父は笑いながら

「お前が住むこの場所こそが紛れもない田舎だよ」

と答えた。

その当時のぼくには、田舎といえば茅葺屋根の家々が並んでいなければならない、という確固たるイメージがあり―たぶん毎朝放送していた日本昔ばなしの影響だろう―なんだかちょっとがっかりしたことを覚えている。

ぼくが生まれた1991年(平成3年)ともなれば茅葺屋根はほとんど姿を消していたから。

その当時のぼくは都会を知らなかった。それはつまり「都会」の対比として描かれる「田舎」も理解できなかったことを意味する。

 

そんなぼくも東京に移り住んでおよそ2年が過ぎた。

東京に住む今だからこそ、かつて自分が住んでいた場所が「田舎」としてありありと浮かび上がってくる―再定義される、といった方が正確かも知れない―のである。

 

この2年間、東京はなんとなくたのしかった。

すべてが新しく、時に怪しく、ぼくを魅了した。

なんとなくこの場所に居座ってもいい気がしていた。

この2年間は刹那的で人工的でどこか生ぬるい刺激に満ちた日々だった。

それなりに、なんとなく、たのしかった。

かといって東京でなければならないという確信も持てなかった。

 

先日のできごとだ。

ぼくはいつものように通勤電車に乗った。

いつもと変わらず混み合っている。

やはり座席は空いていない。

吊革をつかもうとしたその瞬間、車両がぐらりと揺れた。

とっさに一歩足を踏み出し、踏みとどまるがしかし隣の女性の足を踏んでしまう。

あっ、と思うが、ぼくはごまかすように手に持っていたスマートフォンの画面に目線を移す。

女性がぼくの顔を睨んでいるのを横目に感じる。

脇汗がじわりとにじみ、マフラーに顔を埋めて気まずさをやり過ごす。

ハッとした。

他人の足を踏んでしまった。

にもかかわらず「謝ろう」という気持ちに先んじて出てきたのは「無視しよう」という気持ちだった。

「ああ、自分は今この場所で腐りつつあるんだ」とガツンと殴られたかような衝撃を受けた。

ぼくはその時、東京を出ていこうと思った。

 

東京は人が多すぎる。

そんなものはいかにも使い古された文句だし、人口統計的にも明らかなんだろうけれど。

自分の物理的スペースを確保しようと思ったら、お金を稼いでタワーマンションに住むか、そうでなければ心を閉ざして他人への関心をなくす外ない気がした。

この場所でガッツリ稼ぐほどの根性も、他人をわりきるほどの潔さもぼくには持てなかった。

 

「東京が合わない」

という文言はもはや言い尽くされてるし(とくにブログ界隈ではね)、誰もがあこがれるビッグシティTOKYOから逃げ出すみたいだし、つまり二重の意味でダサい気がしていた。

今もそう感じている。自分ダサいな、と。

でもやっぱり、しっくり来ないものは仕方がないじゃないか。

 

東京はたのしい。でもしっくり来なかった。ぼくには、今のところは。

(ぼくには、今のところは、っ言い訳しちゃうのも、わかってる、ダサいよね。)

 

そんなこんなでぼくは今年の秋に福岡に引越すことを決めた。

転職活動はじめます。