牛的思考について

ぼくはoverthinkerだ。

何かにつけて考えすぎてしまう傾向にある。

考えたって答えなんて出ない物事こそ、ああだこうだと検討してみたくなる。

あるいは過去のできごと―だいたいがろくでもない嫌な思い出―を記憶の格納庫から引っ張り出して、ああすればよかったこうすればよかったと考えては落ち込んでいる。

考えたところでどうにかなるもんでもないのにね。

わかってはいるんだけどさ。

そんな自分の性格にうんざりすると同時に、結局そうやって考えることが好きなんだということもまた事実なのだ。

ややこしい人間だ。

考えることは問題解決への糸筋をつかむ努力のように思えるが、ぼくの場合必ずしもそうではない。

考えることで注意を枝葉末節に逸らし、物事がの本質を曖昧に、思考の海に沈み込むことで現実から逃避することもある。

考えることで自らを思考の迷路に誘い込み、自分自身を煙に巻いてしまうことだってできるのだ。現にぼくはしばしばそうしてきた。

ぼくの中には分裂がある。

この手の思考の迷宮ともいうべきものに眠る前に迷い込みがちである。

厄介なことに眠れなくなる。

つい先日もベッドにもぐりこんだはいいが何時間も眠れなかった夜があった。

そんな折にふと、これはまさに「反芻」だなと思い当たった。

はん‐すう【反×芻】の意味
[名](スル)
1 一度飲み下した食物を口の中に戻し、かみなおして再び飲み込むこと。

2 繰り返し考え、よく味わうこと。「先生の言葉を反芻する」 

出典:はんすう【反芻】の意味 - goo国語辞書

一度飲み込んだ自分の(未消化の)記憶をひっぱり出してはぐるぐると考えを巡らせ、いよいよくたびれると消化不十分のまままた内奥へと押し込むのだ。

そんなことを繰り返してばかりいる。

「反芻的思考」

自分の思考スタイルに名前をつけたとろで寝付きがよくなるわけでもないのだけれど。

そして眠気眼をこすりながらブログに書きつづっている今。(了)