責任転嫁社会がしやすいこの世の中だけど

日本は責任転嫁がしやすい社会だと思う。
自分の思い通りにならないことを他人のせいにしやすい。
その背景に、基本的に他人に対する期待値が高いということがあるだろう。
そしてその期待値に対してみんな応えていこうね、という雰囲気が形成されている。
 
いち人間として自立して生きていくにはそれじゃダメだ。
ぼくは最近そのことを、自分ごととしてひしひしと感じている。
たとえば電車が遅延して会社に遅れたこと、ほしい服のサイズが売り切れだったこと。
その電車に乗ろうと思ったのも、その服をほしいと思ったのも他でもないぼくなのだ。
ぼく自身の決断なのだ。
ぼくが選びぼくが決断した。
そういう意味において「責任」は他でもないぼくにある。
もちろんぼくが「悪い」わけではない。
したがって自責の念を抱く必要もない。
ただぼくが決断したことであり、その結果なのだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
生きることは選択と決断の連続である。
それまでの人生の歩みによって選択の幅は変化する。
決断する上での判断材料も蓄積されていく。
自分の頭でかんがえ、選び、決断をくり返していかなければならない。
それが大人になるということだろう。
 
子どものときお店の商品を誤って壊してしまったとき、友だちとケンカをして相手にケガを負わせてしまったとき、親は一緒に頭を下げてくれた。
責任の一部を負ってくれた。
同時に責任を取るということの片鱗を示してくれた。
 
そしてぼくは今大人になった。
もう何も言い訳はできない。
それに気づいたとき生きることはタフだなと思った。
でも生きることはそもそもそういうことなのだと思うから。(了)