レイヤー化した社会についてのここ数日の考察・思考の断片

真実じみたことに気づく瞬間がある。
しかしそんなことはみんなわかりきっていることで。
今さら真新しいことを発見したかのごとく騒ぎたててみても鼻白むだけなのだ。
「鼻白む」をずっと「はなじろむ」でなく「はなじらむ」と読んでいたことに気づいた瞬間。
 
この世の中はレイヤー化していて、そのレイヤーを固定しているひとつの強固な要素が資本力である。
あたりまえだけど、頭じゃわかっちゃいたけれど、社会に出てそれを(自分と異なるレイヤーに所属する人間を)目の当たりにしたときに、ガツンと衝撃がを受けた。
美貌や笑いはときにそのレイヤーを超越する普遍のものだ。
それらを武器に登りつめる人間が、モデルやお笑い芸人なのだろう。
 
好きな人と肌を合わせたときの幸福感がある。
この人間同士のふれあいこそは、ややこしいことを取っ払ったごく最小単位の真実なのだと信じる。
 
どのレイヤーに属していようが、そこで見つかる幸せがある。
幸福感を感じる瞬間は違えど、幸せは幸せだ。
だがそこにレイヤー同士のものさしを持ち出すとき、途端に幸せに序列ができてしまう。
そんなものさしなど、なまじっか知らないほうがよかったと思える。
”下層レイヤー”で無邪気によろこんでいた自分がバカバカしくなり、みじめにすら思える。
 
お坊さんはこのレイヤーからの解脱を目指しているのか。
それが悟りか?
 
いち人間の小ささ。
あまりにも不甲斐ない今のぼく。
ため息。(了)