ここからはじまる

何かがはじまる

理想のじいちゃん像

これといった夢とか将来の展望もないぼくだけど、「こんなじいちゃんになりたい」というひとつのイメージがある。
それは「いい顔のじいちゃん」になりたいということだ。
ぼくは果たしていくつまで生きるのだろう。
平均寿命の80歳くらいまでか、しぶとく100歳を超えてなお生きながらえているか。
そしてそのとき意識ははっきりしているだろうか。
ぼくは、平均寿命以上生きてはいるが、最期は認知症を発症してなにもわからなくなってしまった祖父母の姿を見てきた。
遺伝的なものを考えると、ぼくも長生きはしてもあるいは意識は定かでないなくなってしまうかも知れない。
流動食や点滴で命をつなぎ、己で下の始末もできなくなり、家族の顔すら判別もあやしくなってしまうかも知れない。
ただそのときにこそ「いい顔」でありたいのだ。
「このじいさんボケちゃってなんにもわかんないし、徘徊しようとするし、自分でオムツもはけやしないし、本当に世話がやけるなあ…だけど、なんかいい顔してんだよなあ、このじいさん」
なんてそんなふうに思われるような。
それまで歩んできた人生の重みや深みが表れた、味わい深い顔をしていたい。
最期はそんな顔で死んでいきたい。
そんなふうに思っている。(了)