ここからはじまる

何かがはじまる

東京で生きるには感性を殺さなければならない、時々。

ぼくは毎日電車通勤をしている。

ぼくの仕事はシフト制で午後から出勤することが多いため、幸いなことに満員電車にはあまり縁がない。

とはいえ東京で電車生活を送っている限り、満員電車に乗らざるを得ない場面もある。

満員電車に乗るたびに凄まじい空間だなとゲンナリするし、その快適からは程遠い環境に辟易してしまう。

 

満員電車を構成するのは、だいたいがスーツに身を包んだサラリーマンやOLたちだ。

そしてたまに子連れの親(多くの場合母親)も乗っている。

子どもとって満員電車はまず耐えられない。

往々にしてぐずりだす。

満員電車の不快さに、座りたい、降りたいと不満を口にする。

場合によっては泣き出してしまう。

無理もないことだ。

そんなとき周囲の(親以外の)大人たちはどう反応するだろうか。

大半はやれやれと思いつつ無関心を装う。

だが一部の人間はあからさまに不愉快な顔をしたり、舌打ちさえしたりする。

ぼくはそんな場面を目にすると、大人げないなあと思うと同時に、わからんでもないなあとも思うのである。

あれだけの密室かつ人との距離が近い中大声で泣かれると、さすがに参ってしまう気持ちも、わかる。

つまるところ満員電車は一例だが、東京は人が多すぎる。人口密度が高すぎる。

 

すこし話が変わるが、最近アスペルガーの人が自らの半生をつづったコミックエッセイを読んだ。

読み物としては大変おもしろかったし勉強になった。

ただその漫画の主人公のようなアスペルガーの人間が身近にいたら、すごくキツイだろうなとも思った。

病気だと知っていたとしても、正直近くにはいてほしくないと思ってしまうかもしれない。

 

田舎であれば物理的な距離がとれる。

しかし東京ではどうしたって離れられないことが多い。

どこに行こうが逃げ場がないのである。

これだけたくさんの人間があふれていて、物理的な距離が近くて、利害関係がぶつかり合わないわけがないのだ。

 

人はそんなときどうするか。

心を無にするしかないのだ。心のシャッターを下ろすしかない。

自らの感性を一時的にであれ殺すことで、外部の刺激に無関心無感動となり、その場をしのぐ。

満員電車で多くの人が無表情に互いに目も合わせず、スマホにらんでいるのは精神的防衛反応なのではないか。

たとえば渋谷の交差点で、歌舞伎町の雑踏で感性を全開にしていたらどうなるだろう?

押し寄せる膨大な情報で脳が焼き切れてしまう。

誇張ではなく死んじゃうと思う。

東京という街でうまくやっていくためには、ときに自分のアンテナや感性を閉じなければならない。

それが嫌なら田舎に引っ越すか、高いお金を払ってパーソナルスペースを確保するしかない。

タワーマンションに住むというのはパーソナルスペースの確保という意味合いもあると思う。

東京に住んで1年半、そんなことを思う日々である。(了)

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