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何かがはじまる

予備校で知り合ったOくん

ぼくは浪人を経験している。
ど田舎の地元には大手の予備校がなく、高校卒業後の一年間、名古屋の予備校に籍を置いていた。
当然実家から通うのは不可能だったため、予備校生専用の寮に住んでいた。
みんな同じモラトリアムな境遇の仲間同士、それなりにわきあいあいと生活していた。

そんな予備校の寮で知り合った友だちのひとりにOくんがいる。
Oくんの第一印象は大人しくて真面目そうなやつ、くらいだった。

さて浪人生というのは大きく3つのグループに分類される。
①モラトリアムな一年間をいっそのこと目一杯楽しもうぜ組
②高校生活ダラダラ勉強しなかったせいで浪人したけど、やっぱりイマイチ勉強に身が入らない組
③浪人した悔しさをバネにモウレツに勉強する組

ぼくの肌感覚の比率はとしては
①:②:③=1:5:4
というところだ。
①は少数だが徒党を組んで行動するので、目立つ。
基本的にわいわいしているので煙たがられていた。
深夜にさわぎすぎて寮を退寮させられた人もいたし、予備校でも悪目立ちしていたらしく、2ちゃんねるでもやたらと叩かれていた(笑)
正直いってぼくは②だ。
やらなければと思いつつ、結局勉強に全力投球できたかというと、できなかった。
そしてOくんは典型的な③に属する人間だった。

彼は聞くところによると中高ほとんど学校に行っていなかったらしい。
というか高校には進学すらしなかったとのこと。
そもそもは中学受験に失敗したのがきっかけだった、というようなことを言っていた。
中高時代一応予備校にも籍を置いていたが、ほとんど出席しておらず「当時の自分はいわゆる“ひきこもり”だった」と苦笑していた。
そうは言うものの身内に医者がいるらしく「自分もいつかは医者になりたい」というのが彼が幼少期から一貫していだいている夢だった。
そこで大検をとってセンター試験に挑んだものの、結果はさんざんで、五割にやっととどく程度の点数だったようだ。
これが現役時代(高校に行っていないので“現役”という呼称が正しいのかわからないが)の話である。

予備校に入ってからのOくんは本当にすごかった(というか予備校に入ってからのOくんしかぼくは知らないのだけれど)。
文字通り、寝食を忘れるようにして勉強していた。
いつも目の下にクマがあったし、こう言っちゃなんだかあまり健康そうにはみえなかったが、なにかに取り憑かれたかのように勉強していた。
机の上のテキストとノート以外はほとんど目に映っていなかったんじゃないかと思う。
おかげで部屋は恐ろしいまでの散らかりようだったらしい。
(彼は他人を部屋に入れるのを極端に嫌がったので、ぼくはついぞその部屋の惨状をこの目で見ることができなかった)
なにはともあれ彼の成績は右肩上がりだった。

そしてついに本番。
彼はセンター試験で9割超えの高得点をマークし、二次試験も難なく突破し、某国立大の医学部に余裕の合格をとげた。
ちなみに早稲田と慶応それぞれの法学部のセンター利用入試(当時は慶応もセンター試験を利用していたのです)にもパスしていた。(彼いわく“記念受験”だったらしい)
田舎の高校出身とはいえ、周囲にはぼくが足元にも及ばない優秀なやつらはいっぱいいた。
だがしかしここまでバケモノのような能力を持った人間がいるのかと、唖然とした体験であった。

それぞれ大学に進学して以来、会うことはおろか連絡すらほとんどとっていなかったのだが、就職してしばらくしてからふと彼のことを思い出し、連絡をしてみた。
すると彼はまだ医学生だが、ひょんなきっかけで東京に用事があるらしく会えることになった。
居酒屋で5年ぶり再開を果たしたわけだが、彼は(たぶんぼくも)ちっとも変わっておらず、すごくなつかしかった。
当時の思い出話をふり返りながら「Oくんほどの天才肌の人間には未だに出会ったことがない」という話をすると、彼は照れくさそうにしていた。
彼は他人にはなかなか想像もつかないようなドン底を経験し、それを乗り越えたのだ。
きっと素敵なお医者さんになるだろう。(了)

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