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ここからはじまる

何かがはじまる

25歳男のセックス観

セックスってしみじみよくわかんないものだなと思う。

正直言ってぼくは、セックス自体が本当に気持ちよかったことってあんまりない。

もちろん、快感はあるんだけど、思ったほどじゃないことが多い。

どうしてだろうと、過去のセックスをふりかえってみた。

 

そこでひとつ思い当たることは、性欲を発散することに重きを置いてたセックスは、いざやってみて「あれ?」と思うことが多いし、事後もなんとなくモヤッとした結果になりがちだ、ということだ。

下手をすると(大変失礼な話なのだが)相手の顔も見たくなくなったりする。

じゃあぼくが「してよかったな」と素直に思えるセックスは、セックスをその人とのコミュニケーションの延長線としてとらえられたときだったなと気づく。

会って、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり、散歩や映画などの時間を過ごしたあとで「この人ともっと親密になりたいな」と素直に思えたとき、そして向こうもそう思ってくれていたとき、その流れでできたセックスは、とても気持ちがいい。

いやそんなの当たり前だろって言われるかも知れないけど。

 つまりまだ若い―25はめちゃくちゃ若くはないけど、世間的には若いといって差し支えないと思う―ぼくは、セックスに対する期待値がひとりよがりで高すぎちゃう傾向にあるんだと思う。

たとえば悶々とした気持ちでAVを観て「うわーめっちゃ気持ちよさそう」と高ぶった気持ちと同じようなモチベーションでセックスすると、たいがいそうでもないんだよね。

セックスってAVで映されるほど整理されたわかりやすいものじゃない。

みっともない瞬間や気まずい瞬間っていーっぱいある。もちろんぼくが性的に未熟ってのもあるだろうけど。

だからこそ、そいういうダサさとかみっともなさとかも受け入れてくれる人とやらないとイマイチ空回りしちゃうんだろうな。

理想をいうなれば、そんなつまずいた瞬間をお互いにクスッとできるような関係性が構築できているとよいのだろう。

Tinderみたいなアプリのおかげで、インスタントな出会いは増えたし、それはとてもありがたいことではある。

が、その手のアプリなんて言葉は悪いけど、相手の顔がfuckableかそうじゃないかで判断してる。

ほぼほぼdickでスワイプしてるようなものである。(我ながら想像してゾッとした)

かといって性欲解消のためだけに相手を見つけても―よしんば相手もそこに主眼を置いていたとしても―結果的に自分を消耗させるだけなのだ。ぼくの場合は。

ぼくがろくでもないセックスを経験して得られたものは

相手とやりたいときにやるな

相手を知りたいときにやれ

という教訓である。

そんなことを焼酎ロック片手に考えた深夜3時。さて眠ろう。(了)