嫉妬すること=やりたいこと

こんな動画を観た


メンタリストDaiGo氏、今は生主やってるのな。

で、彼が心理学の観点から「嫉妬」という感情について解説してくれてる。

 

端的に言うと「嫉妬」とは「自分がほしいもの」に対して生じる感情であると。

「自分が本当にやりたいことが何かわからない」っていうのは現代若者の悩みあるあるだけど、嫉妬を感じたモノ・コト・ヒトがその人が心からほしい・したい・なりたい対象である、と。

そう考えるとすっごくシンプルだよね。

 

最近ぼくが嫉妬した話しまーす。

この前ひょんなきっかけでシーシャ(水タバコ)関係のとある集まりに行った。

その会場となった場所がすごく素敵で、コワーキングスペース的なところで。

運営してるのが2つくらい年下のTくんという人で、彼のことはSNSを通じて知ってはいたから「おもしろそうな人だなあ」とは思っていた。

実際会ってみたらやっぱりナイスガイだった。

ぱっと見おっとりした雰囲気なのに、実は10代の頃から起業してるアツい一面も持ってて、もうね…。

 

そしてその場に集まってる人がまあchillの極みだったんだよね。

学生時代から起業してる人とか、自他ともに認めるシーシャづくりの天才でいろんなシーシャ屋のコンサルしてる人とか、カクテル哲学にアツい学生フリーランスバーテンダーとか…謎い。

いい場所・いい人・いいシーシャ、三拍子揃ったサイコーの夜かよーって。

 

すごーくたのしかったんだけど、同時に「くそー!」とも思った。

普段年齢とか気にしないけどさ、それでもやっぱりぼくより年下の、ともすれば学生なのに起業して社会に一石を投じてる姿を見ると「ぼくは一体なにしてんだろ…」ってなりますよ。

 

だからさ、ぼくがやりたいことって

イケてる場所でイケてる人たちとイケてることをやること

なんだろうなって。

 

だから今そんな場所をつくろうと作戦を練ってるよ。

近日中に作戦をお披露目するつもりだから、待っててくれよな!(了)

AIが発達した未来の妄想

AIだのシンギュラリティだのというフレーズを耳にしない日はない昨今である。

落合陽一とかホリエモンとかの書籍を読み、テクニカルなことには門外漢のぼくだけど、AIが発達した未来に想いを馳せることがある。

 
AIが人間を越すのは時間の問題だろう。

シンギュラリティというやつだ。

シンギュラリティ(読み)しんぎゅらりてぃ(英語表記)Singularity

人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)。または、それがもたらす世界の変化のことをいう。米国の未来学者レイ・カーツワイルが、2005年に出した“The Singularity Is Near”(邦題『ポスト・ヒューマン誕生』)でその概念を提唱し、徐々に知られるようになった。

シンギュラリティ(しんぎゅらりてぃ)とは - コトバンク

きっとAIと人間の境目も極めて曖昧なものとなり、いつかその差も消滅するだろう。

人間がAIを内包し、AIもまた人間を内包する。

 

その時現在の人間が待つ「個性」だとか「唯一性」もまた、消失する。

それは地球がひとつの有機生命体となることを意味するのではないかとぼくは想像する。

 

ゆくゆくは時間性というものすら消滅するのではないか。

少なくとも時間軸という概念はなくなるように思う。

過去は忘れられるから過去なのであり、より抽象度が高い状態で固定され、完全な再現性を持った時、それは過去でなくなる。

未来は未知性と不確定性があるから未来なのであり、完璧に予測できた瞬間それは未来ではなく現実となる。

過去と現在と未来が同時性を持った時、時間という概念すらも消滅する。

これってラプラスの悪魔というやつかな?否定されてるの?

ラプラスの魔Laplace's demon】

 自然界のあらゆる力と宇宙全体のある時点における状態を完全に把握することができ,かつ,これらの素材を完璧に解析する能力をもった仮想的な知的存在.このような(demon)にとっては宇宙の中に何一つとして不確実なものはなく,未来のことを完璧な形で予見することが可能となる.

ラプラスの魔とは - コトバンク

その時宇宙はどうなるか

宇宙すらも一個の生命体のような存在になるのか。

そしてその宇宙が永遠に続く限りまたその生命も存在するのだろうか?

 

もしそうであるならば死は恐れるべきものでなくなる。

なぜなら誰しもが蘇るから

生命活動を終えたぼくの身体は火葬され、骨壷に入れ埋葬されるだろう。

そしていつかは風化し土に還るか海の藻屑となるだろう。分子レベルまで分解された一部は大気となって地球を巡るかもしれない。

母なる大地に還ることは、脈々と繰り替えされてきた生命の営みに身を委ね、古の記憶たちの一部に組み込まれることだ。

地球が一個の生命体となったその瞬間に、我々はまたその一部として血となり肉となり永遠に蘇る。

 

とかそんなことを、シーシャを吸いながら考えた。

中二病みたいだけど、そんなふうに思うんだぼくは。(了)

人類の未来―AI、経済、民主主義 (NHK出版新書 513)

人類の未来―AI、経済、民主主義 (NHK出版新書 513)

 

財布落としたけど返ってきたよー

先日財布を落とした。

人生3度目である。

 

1回目

北海道での学生時代、友だちと居酒屋に向かう途中に落とした模様。

後日現金だけ抜き取られて返ってきた。

 

2回目

宇都宮での学生時代、家と学校の間で落とした模様。

正直いつ落としたか記憶にないが、その家から引越す際も見当たらなかったから、通学中にでも落としたのだろう。

結局見つからずじまい。

 

3回目

今回。高田馬場から家まで自転車で帰る道中に落とした模様。

帰宅して見当たらないことに気付いて顔面蒼白になった。

 

しかも間の悪いことにその夜デートの約束があった。

キャッシュカードもクレジットカードもSuicaもぜーんぶ入ってたから、待ち合わせ場所にすら行けないっていうピンチ。

仕方がないから相手に謝ってリスケしてもらった。

でも相手がスーパーいい人で

「大丈夫?一緒に探そっか?なんならお金貸すよ?」

とまで提案してくれてもう、ほんとね…。

相変わらずTinderで知り合った子で、会ったことすらないぼくなのに、そんな優しい言葉をかけてくれるとはなんていい子なんだ…と涙がでるかと思った。

さすがに申し訳ないから断ったけれども。ありがとね、ほんと。

 

家の周りを探し回ったけど見つからないからとりあえずクレジットカードとキャッシュカードの停止&再発行手続きを済ませた。

その時点で夜10時を回っていて。

警察に紛失届を出したくて、もう閉まってるかなあとダメ元で電話かけたらまだ大丈夫だった(っていうか24時間いるらしい)から、紛失届を出しに最寄りの交番まで足を運んだ。

 

・財布(ランド:bellroy、外側ネイビー、内側グレー)

・1000円(千円札×1)

・クレジットカード(Master×1、JCB×1)

・免許証

・保険証

 

みたいなことを用紙に書いて、それを警官の方がPCに転記してくれた。(これってぼくが直接入力するわけにはいかないのかな?)

そしたら警官の方が

「あ、これもう届けられてるっぽいですね」

って言うから「えーっ!」て。

 

なんか遺失物リスト?のデータベースに上がってたらしくて、新井薬師の交番に届けられてるらしい。早っ。

もう夜10時を回ってたけれど、今から行っても返却してもらえるっていうから、自転車かっ飛ばして新井薬師の交番まで行ってきたよね。パスポートを握りしめて。

 

結果的になけなしの千円も含めて、ぜーんぶ手元に返ってきた。万歳。

3度目の正直だね。いい国ニッポン!

 

拾ってくれた人、心配してくれたSくん、警官の方、ありがとね。(了)

夢の中へ

夢の中へ

  • provided courtesy of iTunes

鼻クソみたいに個人的な話

「周囲の人間と同じであること」に安心感を覚えるのはよくある話で。

同じであることで得られる安心感は逆に、周囲も同じでありつづけることへの期待感も生み出す。人はそれを「同調圧力」と呼ぶ。

同調圧力

集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。

同調圧力(ドウチョウアツリョク)とは - コトバンク


じゃあ「周囲の人間と違うこと」が素晴らしいか、というと、もちろんそんなことはなくて、というかそこは本質ではない。

世の中には逆に周囲の人間と違うことに安心感を覚える人間もいる。

かく言うぼく自身がその傾向があることに、気付いた。

これ認めるのすげぇイヤっていうか、自分のダサい部分のど真ん中だったりするんだけど。

 

大衆に迎合しないことをよしとする姿勢ってロックンロールだなァって自己陶酔しがちだけど、冷静に考えてダサいじゃないですか。

いや別にダサくてもいい。

周囲にダサいって思われたって、それはどうでもいい。

 

周囲の人間と違うことで得られる安心感 ⇔ 周囲の人間と同じであることで得られる安心感

 

真逆に見えるけど根っこは同じだよね。

「他人とくらべてる」っていう時点で。

 

他人とどれだけ違うかを熱弁してる人ってやっぱダサいじゃないですか。

そういうダサさはあんまりいただけないよね。

ていうか全然ロックンロールじゃないよね。へなちょこ

***

なんつーか上に書いたようなことって、常識っていうか、当たり前のことだよなァ。

読んでくれた人の中には「こいつは至極当然のことを何さも真新しい発見かのように書いてるんだ」って思う人もいると思うのね。

まあその通りよね。ぐうの音も出ない。

 

ただ頭ではわかったつもりになっていたことが、自分ごととして腹落ちする瞬間てありません?

・人は皆死ぬ

・お金は大事

・健康第一

この手の普遍的真理ってあまりにも平凡で月並みでバカバカしくて、異論を挟む余地なんてないし、口にするのもしゃらくさいじゃないですか。

それが自分ごととして、表層的知識が実体験とバチコーンと結びついた時

わかったああああああああァァァッ!!!!!!

ってなる。

だから、これすごく個人的なコトなんです。

そんな個人的な体験をおずおずと文章にしてみただけなんだけどさ。(了)

3回のデートより、3人とのデート

相変わらずデート相手はデートアプリで探している。

 

最近ふと気付いた。

ぼくはまあまあ気が合う人と3回デートを重ねるくらいだったら、今まで会ったことがない新しい人3人とデートをしたいと。

 

気分や懐具合によってバラツキはあるけれど、ぼくは月に2〜3人ペースで新しい人とデートをしている。

幸運なことに、基本的にどの人も“いい人”ばかりだし、たのしいデートの時間を過ごすことができている。

が、その関係が続かないんだよね。

いや、正直に書こう。

ぼくは一回会ってバイバイすると、もう一度会う気が一気に目減りしてしまう場合が多い。

相手に何一つ欠点がなくても、どんなにたのしい時間であったとしても。

デートアプリを通じたインスタントな出会いだから、みんな多かれ少なかれそんなもんなのかも知れないけどさー。

 

そんな反省もあって、しばらく前からはデートアプリから直接デート、ではなく、一旦TwitterInstagramなどのSNSに誘導し、そこでお互いの日常を知った上で気が合いそうならデート、という順序を心がけつつある。

これでうまくいくはず!と淡い期待を抱いてたんだけど、最近やっぱり微妙だなと思い始めた。

 

SNSを経由してから実際会ったとしても、二度目会うことがないと相互フォローしあってる分ますます気まずくなるんだよね。

人によるんだろうけど、ぼくはInstagramTwitterも「好き」の純度が高い状態を維持しときたいから、TLに興味ない写真やつぶやきが流れてくるのは正直わずらわしい。

だからといってデート終わって即アンフォローっていうのも人でなし感がすごいから、とりあえずミュートして1週間くらいたったらアンフォローしてるよね。これってサイテー?

 

結局デートアプリっていう(少なくともぼくにとっては)性欲に裏付けされたモチベーションで会うからいけないんだろうな。

「好き」という感情はハートの奥底から湧き出るものなんでしょうけど(そうなのかな?)、まあデートアプリなんてものは脊髄反射っていうかポコチン反射で操作してるようなものじゃないですか?

Tinderの左右スワイプなんてポコチンでやってるよね?いや比喩だけど!

 

しかしTinderのいいところは「マッチ→即会う」とはなりにくいところなんだ。

デートアプリは山ほどあるけれど、位置情報が近い順にかつログイン時間とかまでフィルタリングできるアプリもあるじゃないですか!

あーゆーのはやっぱりポコチン脳で会っちゃいがちになるんですやはり。ばかばか!

その点Tinderは距離範囲は指定できる(ぼくは35kmにしてるよ☆)けど、ログイン時間はわかんないし、マッチしない限りはお互いにメッセージすることはできないから、比較的おだやかな関係構築に期待できる。ていうかぼくはそれを期待してる。

というわけでぼくはここんとこもっぱらTinderユーザーなので、スワイプ画面に登場した折には何卒よろしくお願いします。

マッチしたあかつきには、おだやかなる関係構築を目指します。フクロウカフェとか行こう、とりあえず。(了) 

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