水たばこ屋さんになりたいんですぼく

本を読んだ。

  

なんかどの本も「自分が心からやりたいことを全身全霊でやってみなよ」って言ってた。

 

ぼくが心からやりたいことって何かなって思った時に「水たばこだ!」って気づいたんだよね。

なんでかわかんないけど、死ぬほど飽きっぽいぼくが数年スパンで夢中になれてるほぼ唯一のものなの。

自分で水たばこ屋さん(シーシャ屋さん)やりてぇなって。

 

今転職活動してるんだけどさ、転職エージェントが紹介してくれる仕事がどうもしっくりこないんだよね。

なにに使うかわかんない車の部品の営業とか、聞いたこともない健康食品の企画とか、あんまやる気になんないんだよ正直。

もちろん今現在そこで働いてる人たちのこと云々じゃくて、ぼくは自分がキョーミわかないことにはホントに辛抱ができない。

コンサルティングとかマーケティングとかPRとか?その先にあったとして、イマイチなにをどうモチベーションにして働いているのかピンとこない。

もっとぼくが抽象度が高いモノゴトに対してやりがいを感じて生きていけるならいいんだけど、たぶん、ぼくにはキツイ、経験的に。

食べる→おいしい!とか、見る→きれい!とか、そういう即物的な魅力がないとまずそれ以上掘り下げる気がおきない。

世間的に見たら浅はかな人間なのだろうか。

でも仕方ないじゃん。ぼくなりに努力してみようとは思ったし、努力できてる人ってスゲー!カッケー!ってなるけど、同じ土俵でぼくもやりたいかっていうと、うーんって感じ。

 

だから水たばこの方向でどうにかなんないか、どうにかしたいから、実際に水たばこ屋ではたらいとる人に話を聞いてみようと思う。

数ヶ月以内に「会社辞めて水たばこ屋になった」ってエントリー書けるようにがんばる。(了)

職務経歴書が一向に書けない

福岡への引越しを目指して転職活動をしているわけなのだが、これがなかなかうまくいかない。

転職エージェントを2つ利用していたのだが、最初に利用していた某エージェントでは、エージェントの方と半ばケンカ別れみたいなことになってしまった。

東京−福岡という距離感もさることながら、未経験の仕事に飛び込もうとしているくせに興味がわかない会社にはやっぱり応募したくないし…とぼくがウジウジしていたためだ。

このままではいかんと反省し、今度はエージェントの方と腹を割って話してからキャリアのについてアドバイスしてもらおうと心に決め、リクナビエージェントに申し込んだ。

担当してくれた見るからに有能そうな女性エージェントの方は、初回会うなり「今日はまず原さんのお話をいっぱいお聞きします。その上で今後のキャリアについて探って行きましょう」とはっきり宣言してくださり、実際その通りにしてくださった。

最後の方は現状の不甲斐なさに自分でも思わず涙ぐみながら、滔々とこれまでの人生について語ってしまった。

その上でいろいろアドバイスをくださったのだが、やはり福岡というのはハードルが高いのではないか?ということであった。

 

もちろん福岡は都会だし、いろいろ仕事を紹介することは可能だけど、より長期的なスパンで原さんのキャリアを見るならば、20代の内くらいは東京で足場を固め実績を作ってから改めて転職してはどうでしょうか。

2020年の東京オリンピックまではひとまず好景気だし、特に東京はヒトやモノへの投資機運も高い。

人材を育成していこうという雰囲気が企業にも強くある。

かつ福岡で仕事を見つけるとなると面接のための交通費や宿泊費に数万円はかかる。

もし福岡で仕事が見つかっても(幅広く考えればほぼ間違いなく見つかるだろけど)もしまた今回のように、仕事に飽きてまた転職したいとなったときに、原さんの年齢やスキルを考えると後がないですよ…云々。

 

おっしゃることは一々もっともであるし、ぐうの音も出ない。

その上で「原さんにとって『働く意味・軸』ってなんですか?」と問われた。

その時はとっさに答えられなかったこの質問。家に帰ってよくよく考えてみた。

もっと根本的なことを考えると「ぼくがうれしい瞬間はなんだろう」ということか。

 

ぼくが喜びを感じる瞬間は、モノやヒトの知られざる魅力や事実を見つけ、それをユーモアを交えながらプレゼンするときだ、と思い当たった。

象徴的な体験は大学4年生のときの英語の授業だ(編入学をしているおかげで4年になっても英語のクラスを取ってた)。

たしかクラスの名前は「Presentation English」

その名の通り英語を使って好きなトピックをプレゼンする授業だった。

担当のニュージーランド人の先生はとてもおおらかでノリがよく

「なんでもいい、君たちが好きなトピックを好きなようにプレゼンしなさい(in English)」

という方針だった。

ぼくは当時からアルバイトをしていたメガネ屋や、自分のこれまでの人生、その時抜歯した親知らずについてなど、自由気ままにとトピックを選んでプレゼンした。

一般教養の授業の中で間違いなく最も楽しいクラスだった。

トピックを思いつきそれをどうプレゼンするか、メガネの知られざる魅力や、ぼくが種子島に住んでいた時のエピソードなど、どう面白おかしく伝えるかに毎回わくわくしていた。

基本的に事前準備や座学が苦痛でしかないぼくにとって、そのクラスは唯一と言ってもいいくらい心からたのしめたクラスだった。かつ「秀」のスコアを取ることができた数少ない授業のひとつでもあった。

 

ぼくはそういうのが好きだ。

ぼくが好きなものの魅力を言語化し、それを他人に伝えたい。その魅力を知ってほしい。

これを仕事にするとなると、どんなものがあるだろう。

それこそ転職エージェントなんていいかも知れない。

転職希望者の魅力を引き出し、それを求人企業に伝える。

飽きっぽいぼくだけれど(この飽きっぽいというのもぼくの重大な特性 のひとつだ)、転職希望者の魅力やモチベーションは一人ひとり異なるわけだし、「飽きない」気がする。

 

そんなことを考えながら、職務経歴書がなかなか書き進まず、ブログを書いちゃったりなんかして、でもやっぱり福岡に行きたいなーなんて、思ってるわけであります。

めげずにがんばりますです。(了)

ダサい文章・ダサいブログ

ぼくにとって文章を書くことは肩の荷を下ろすことだ。

…なんて書いたらなんかちょっとかっこつけしいか。

 

でもそうなんだよね。

いろいろ背負い込むじゃないですか、生きてると。

ストレングスファインダーによるとぼくは「内省的」人間らしく。

まあ思い当たるところは大いにあったりするわけなんだけど、ひとりであれこれ考えるスタイルが性に合ってるんだな。

その分ひとりで問題を抱え込みやすいやすい傾向がある。

かと言って誰かと話して悩み事や問題を解決するのもそれはそれで体力をつかいますし。

よっぽど仲がいい人なら別だけどさ。

 

だからぼくは高校3年のころからずっと日記を書いてきた。

いやあれは日記と呼べるほどまとまった文章じゃないかも知れないな。

思いの丈とか気に入った単語とか思考の切れ端みたいなものを紙に書きなぐってきた。

書き始めて10年近く、何十冊にもなったノートは保管してあるけれど、読み返したら恥ずかしさで死んじゃうから捨てるに捨てられない。

とはいえぼくはそのノートに、書くという行為にどれだけ助けられたことか。

陰気で憂鬱なぼくの青春時代をどれほど支えてくれたことか、ありがとう日記モドキたち。

 

このブログはそのノートの延長線上にある。

書くことは救いである。

目指すところの究極は自己の魂の浄化と救済にある。

ナンマンダブナンマンダブ

**

すごい偏見に満ち満ちたことを言うけど、ブロガーを名乗る人ってどこか陰気な人間が多くないですか?

ぼくもそうっちゃそうだけど、ぼく自身が「ブロガー」なのかはよくわかんないし、なんかなんだろう、そういう先行するブロガー=陰キャラ?という自分の偏見に満ちたイメージによりブロガーと名乗るのは気が引けてるところもあったりするわけなのね正直。

「ブログ書いてりゃブロガーだろ!」っていう意見には、まあうん、そうだよね…と歯切れが悪い返答をするしかあるまい。

 

いや陰キャラでいいんだよ、全然、陰キャラでいいじゃん根暗でいいじゃん、と半ば自己肯定的にうんうんとうなずけるのだがここで言いたいのはそうではなく、陰キャラ特有のひねくれたダサさみたいのがブロガー界隈にもやっと漂ってる感じがなんとも「うっ」ってなっちゃうんだよね。

 

「ダサいかダサくないか」「クールかクールじゃないか」とういうことに対してぼくたち人間はすごい嗅覚を持っていると思うんです!

なんかこの前観た日本語もしゃべれるバイリンガルアメリカ人YouTuberが

「アメリカはクールじゃクールじゃないかがすべてを決める。クールじゃない奴は瞬時に舐められるYO!」

というようなこと(うろ覚え)を言っててほうほうと思ったんだけど、それって日本も少なからずあてはまるところあるよなーって。いくらCOOL JAPANと言えども(違う)

ダサさとはなんだろうか。

罪人の額に刺青が彫られて一目見てそれとわかるがごとく、ぼくらは出会って3秒で合体、はなくても「あーこの人となら合体したいな♡」か「ダセェしゃべんなキモい近寄んな」と判断する。そしてその直感は悲しいほどに当たっているのだ。

 

じゃあぼくらクールじゃないピープルはどうやって生きてけばいいんだよ!クールキッズたちの靴を舐めてやってくしかねぇのかクソがっ!

って言われるとうーん、そうだよねむずかしいよねぇってなるんだけど、最近ぼくは気づいたんです、そのダサさをスタイルに変えていくしかあるまいと。

いいんですよダサくて、ぼくらはダサいままでいいんですよ、だってそれがぼくであって君であって根っこなんてなかなか変えられないし、「らしさ」ってそういうもんでしょ。

だから「このダサさはぼくのスタイルですよー」って世の中にうまいことプレゼンしてくしかないんじゃないでしょうか。

天パでもじゃもじゃ頭でも逆にツンツルテンでもそれがあなたで、声が高かったり早口だったりキョドってたりとかいろいろひっくるめてぼく/あなたでしょそれが。

それで戦ってくしかないじゃないですか。

自分自身をどう活かすか、どうプレゼンすればいいか、それはあるいは今あなたがいる場所ではないのかも知れない。

タフですね生きるというのは。

しかし生きることとはそういうことだと思うのです。

ダサさをスタイルに変えていきましょう。ぼくもがんばります。

なんとなく憂鬱

なんとなく憂鬱な気分がある。

ずっとそう。

小学生くらいからなんとなく憂鬱。

そういうのって文章にもにじみ出ていて、自分の文章を読み返してしみじみ感じる。

 

水たばこを吸いながらぼくは

句読点をなくして

書く

いい文章とは

誰に向けて書いた文章か

説明的な文章など誰も読みはしないのだ

平凡さを打ち消そうと難解な語句を並べてみても、言い回しを気取ってみても

万人に向けた文体を目指すならば冷蔵庫の取扱説明書でも真似していればいいのだ

誰も読まない

万人が内に秘めた平凡さこそブラックボックスなのだ

平凡さをキーボードに叩き打てばいいのだ

己の平凡さにスタイルを見出すのだ

平凡さこそが個性なのだから

水たばこの煙に酔っている

小袋成彬を聞いている

WWWのライブ行きたかったな

誰も知らない場所にいる

誰も知らないことを考えている

 

Lonely One feat.宇多田ヒカル小袋成彬

Peruna・Akeboshi

Demian(UK mix)・ROTH BART BARON

そして僕は途方に暮れる・大沢誉志幸

 

吐き気を抑えてガタガタと震えながらぼくは文章を書いている

何を恐れているのか

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ペーパーレスコーヒードリッパー目詰まり問題とその解決策

コーヒー大好き人間なぼくが脱ペーパードリッパーをしてから数ヶ月が経った。

その代わりに使ってるのがこれ 

ペーパーフィルターみたいに買い足す必要がないし、シンプルなデザインも気に入ってる。

味のちがいはあんまりよくわからない(インスタントコーヒー以上の味であればなんでも好き)けれど、今度比較記事でも書いてみようかしら。

 

というのはさておき、毎朝のように使い続けて数ヶ月、ひとつ問題が生まれた。

フィルターの目が詰まるのである。

最初は「前より抽出速度が遅くなったかな?」という程度だったが、ここ最近はほぼ抽出されない、されても半分以上のお湯がドリッパーに残ったままという有様だった。

もちろん使った後はスポンジと洗剤、および付属していたブラシ(理科の授業で試験管を洗うときに使うようなやつ)で洗っていた。

なので見た目はきれいなのだ。

けれどどうやら細かいコーヒー豆のカスや油が詰まってしまったらしい。

 

どうしたものかとネットで調べたところ、どうやらメラミンスポンジが効果的とのこと。

メラミンスポンジってこういうやつね

日本だと激落ちくんが代表的な商品名かと思う。

ちなみにぼくが手に入れたのは100円ローソンで売ってるやつ。

本当に詰まりが直るのかと半信半疑でこすってみた。

そしたらもう「今までのスポンジはなんだったんだよっ」てくらいスムーズにドリップできるようになった。

洗剤無しでさっとこするだけなんだけど、ちゃんとメラミンスポンジの表面が茶色に染まる。

汚れが落ちてる証拠だね。きもちよい◎

メーカーサイドも、もはや試験管ブラシもどきじゃなくてメラミンスポンジを付属させたほうがいいんじゃないかと思った次第です。

とはいえまあそんなことはしてくれないと思うので、ペーパーレスコーヒードリッパーをご購入の際はメラミンスポンジもお忘れなく。(了)